それでも世界は美しいと言いたい。

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【コミュニケーションの未来は】

先日ネットである番組を見ていたときの話です。

 

 

番組自体はこれからやって来るIT化社会について、無知な司会者と女性の有識者がただやいのやいの話をするという軽めのトークに終始していましたが、半分からかうような流れで、司会者が出演されていた有識者の女性のコミュニケーション嫌いについて話を振りました。

 

 

その女性曰く、

これからは特に仕事において、他人とコミュニケーションをとる機会が極端に減るだろう。

今すでにその傾向が出始めている。

AIが多くの仕事を担うようになり、実際に人と会って何かをしなければならないという場面がほとんどなくなる。

そのことが本当に心から嬉しいし、無駄な時間を割かなくて良くなるそんな未来に早くなればいいのにと切望している。

早く生まれてしまったような気がして残念だ。

 

 

これからはわたしのような人間の時代が来る、と。

同じように無駄なコミュニケーションに苦しんでいるみんなにとって明るい未来がやって来る、と。

 

 

 

数十分の短い動画でしたし、そこまで真面目につくられたコンテンツではなさそうでしたが、彼女の主張には何かとても切実なものを感じました。

出演者は皆、笑いながら話しをしていました。

しかし彼女の言葉や表情のなかには強い怒りや苦しみが滲んで見えました。

きっとこれは本心の吐露なんだろうと、強く感じました。

 

 

 

この話がなぜそんなに記憶に残っているのかというと、理由は2つあります。

 

 

 

ひとつめは、この有識者の女性のようにここまで深くコミュニケーションを嫌悪している人がいるという事実を忘れていたからです。

 

話している彼女の言葉に含まれる棘や毒、口元の歪み、サッと鋭くなる目元などから、本当にコミュニケーションを疎ましく思っているという気持ちが悲しいほど伝わりました。

 

 

とても悲しかったのです。

 

 

コミュニケーションが難しくてこんなに苦しい思いをしている人がいるのか。

わたしが「ただのコミュニケーション」だと思っているコミュニケーションが、まったく「ただの」だと感じられない人がいる。

そして、それは相当苦しいことなんだ。

 

 

彼女の全身から溢れる嫌悪感。

一瞬で伝わったその強さに驚きました。

 

 

 

 

次に、彼女の言う通りの未来を想像してみました。

そこで新たな衝撃が走りました。

 

 

きっとIT化が進めば、今よりもっと相互コミュニケーションが希薄だと感じる人が増えるだろう。

そして有識者の彼女のように考える人が過半数を超えた場合、今度は反対に、現在対人コミュニケーションを軸にして生きている人たちが同じように苦しむことになるのではないだろうか。

IT化の荒波に上手く乗ることができず、揉まれて溺れてしまう人たちがいるのではないだろうか。

 

 

これがふたつめです。

 

 

物事は何でも、一度極端に行けば揺り戻しが来ます。

 

 

この先、変化の波の狭間で押しつぶされてしまう人が出てくるのではないだろうか。

しかも、想像しているより多くの人が苦しんでしまう未来もあり得るのではないだろうか。

 

 

 

 

ならば、今のうちにコミュニケーションの在り方や認識を変えることは出来ないだろうか。

 

言葉はそこ含まれる意味を固定してしまう。

人の思いや想像力はもっと流動的であやふやなのに。

 

 

 

 

 

受け皿が必要なのではないだろうか。

 

 

 

病院やクリニックやカウンセラーや新興宗教ではなく。

もっと身近 で楽しくフランクな、受け皿としての場所。

 

 

そう、例えば友達の家のリビングルームみたいな。

 

 

 

そんな場所がたくさんあれば、未来はちょっと変わるかもしれない。

そんなことを日々考えています。