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「村上春樹の再読」という泥沼について

些細なきっかけから「村上春樹の再読」という泥沼にハマり、大変な事になっています。なぜなら長編も含めて順番通りに再読となると、本当に長いんですもの。サラッと読むということが難しい。だからこそ楽しいっていうのもあるんですけどね。

 

 

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一応「女のいない男たち」を基準点として読むことにしました。それ以前の作品については何度かじっくりと読み込んでいるので、読みが浅いところを重点的に行こうかなと。そして「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の旅」の後、長編に進むため「海辺のカフカ」を間に挟み「1Q84」「騎士団長殺し」ということになります。うん、些細なきっかけから始めたにしてはそれなりの量ですね。

 


しかし「海辺のカフカ」なんて何回も読んでるのにまだまだ面白いんだもんなー。恐ろしいですよ、ある意味。

 

他の作品とのつながりを色んな場面で感じながら(カフカ少年が森の奥でたどり着いた町なんて、まさにあの作品のあの場所ですよね、ハルキストのみなさん)読み進めましたが、最後の方で、カフカ少年が大島さんのお兄さんに連れられて山小屋から帰る場面があります。その車中での会話にとても大事なセリフがあるので抜き出します。

 


カフカ少年が、森で出会った兵隊についてサダさんに質問をしました。でもサダさんはその話を今まで誰にもしたことはないし、これからも誰にもしないと言い切ります。何故だか分かるかというサダさんの質問に、カフカ少年が答えました。

 

「ことばで説明してもそこにあるものを正しく伝えることはできないから。本当の答えというのはことばにはできないものだから」

 

 

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これは村上作品を読む上で、とても大切な視点です。村上春樹をエンタメとして捉え理解ができないと感じる人と、作品とのズレはここにあるのではないでしょうか。大きく言ってしまえば、これは物語というかたちの説明でもあるわけで、何でもかんでも秒で簡潔な答えを欲しがることに対する疑問でもあります。

 


私はせっかちだから、結果を先に知りたいし、ダラダラ前置きされることがあまり好きではありません。でも実際には「好きではなくてもそれが必要なとき」というのが必ずあります。そして、理解できないものを心が受け入れたとき、何かが大きく変わる可能性が生まれる。

 


世の中には、ことばで説明できるものごと、目で見て簡単に分かるものごとの方が少ないんです。それを忘れていると自分でも気がつかないうちに、想像力の欠如した、味も何もないつまらない人間になってしまうような気がします。だから私は物語が好きで、小説が好きで、村上春樹が好きなんでしょうね。

 

 

 

 

 

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