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物語の力について思うこと

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どうも、さとうえみです。

 

 

「SFが読みたい!2017年版」読みました。

好きなものに順位をつけるなんて くだらんと思います。

まあねえ。

そうは言っても、他人のつける順番には個性があってけっこう興味深いです。

他人の本棚が面白いのと同じでね。

 

 

今回は牧眞司さんによる「宮内悠介インタビュウ」がありまして、宮内悠介ファンとしては楽しく読ませていただきましたが、その中の一部分を是が非でも紹介したいのです。

話が「スペース金融道」から「彼女がエスパーだった頃」に移り、疑似科学についてその扱い方に話が振られ、そこで答えた宮内さんの小説としての向き合い方にいたく共感しました。

ちょっと長いですが、そのまま。

 

疑似科学への批判的視点はもちろん有益なのですが、たとえばフーリエ変換ができないような人であっても、ネットリテラシーのみで事実に到達し、そして疑似科学を嘲笑できてしまいます。

そして、代案がない。

というのは、現実に疑似科学を必要としている人はいて、そうした人たちに提示すべき真の代案は、おそらくは科学ではなく、真正なる信仰であると思うのです。

そんなわけで、疑似科学への批判的視点を持ちながら、代案、言い換えれば、新たなる精神性を探る物語を企図しました。それが、オウム事件以降の小説のありようだとさえ思います。」

 

その通りではないかと思います。

拍手。

 

これは小説や物語について、村上春樹さんや河合隼雄先生が再三お話しされていた事と共通しているように感じます。

真正なる信仰の代案としての物語。

もちろん聖書がこの代表例ですが、長い年月が聖書や聖典に、そして人間自身にも大量の付属物をつけてしまった。

だからこそ新しい物語を必要としている。

 

何だか哀しいんだかワクワクするんだかよく分からない気持ちになりますが、

物語の力を愛しているわたくしとしましては、こんな風な思いで小説を書かれている作家を全力で応援したい所存です。