わかりあえないから始めてみよう。

人生を楽しくするためのコミュニケーションについて、みんなで語り合いましょう!

【コミュニケーションを語る上での大きな問題点】

コミュニケーションについて誰かと話をする上で、気になる問題があります。

それは、話が噛み合わない時があること。

 

理由はいたってシンプルで、お互いが思い描くコミュニケーションに差があるからです。

かなり広義な意味が含まれているのに、同じ言葉を当たり前のように使うことに慣れてしまっている。

 

わたしはコミュニケーションを3段階に分けて話をするようにしていますが、これら3つは全く違う性質を持っていると考えています。

にも関わらず、世間一般では同じ言葉を使い同じ意味であるかのように話すことでいらない誤解を招き、これがトラブルの元になっている。

 

 

以下が、わたしの分ける3段階のコミュニケーションです。

 

1.上位コミュニケーション
2.下位コミュニケーション
3.ベースメント

それではひとつづつ説明します。

まず第1の上位コミュニケーションとは、スキルを武器として使うコミュニケーションです。
幅広い知識と経験、高い能力を必要とする強い力で、戦略的対人コミュニケーションと言い換えることができますね。

自分、もしくは自分たちのポジショニングをどれだけ優位に取れるかを考えて行動します。

環境の情報をできるだけ多く集め、影響のルートを探ります。

 

例えていうなら、大海原で遠くに見える島まで遠泳をするような感覚ですね。

参加者はどれくらいの人数で、平均値はどの程度で、どのようなタイプの人間が参加しているのか。

島までの距離は、波の状態は、自分のコンディションはどうか。

そう言ったことを総合して自己ベストを目指します。

 

 

そして第2の下位コミュニケーション。

 

ちなみに下位というのは、上位よりも劣った能力という意味ではありません。

単に環境のスケールが上位よりも小さいことを指します。

 

上位コミュニケーションが得意だからと言って、下位のコミュニケーションスキルも持っているというわけでもありません。

繰り返しになりますが、これらは全部別物として考えてください。

 

こちらのコミュニケーションスキルは、環境を自分の力で改善することが出来る能力です。
特に、対人コミュニケーションにおいて問題のあるチーム内で能力が発揮できるかどうかがポイントです。

どこに問題の原因があるのか、どのような改善策が提示できるのか。

そして大事なのが、第3のベースメントを理解しているかどうかです。

ベースメントの重要性を理解し、自分の方法で相手に伝えることができるか。

ここが大きな違いですね。

 

下位コミュニケーションの環境は大海原ではなく50メートルプールです。

ここで、チームのメンバーと共にリレーの大会に出るような感覚ですね。

誰がどの順番で泳ぐのか、誰を補欠にするのか。

能力を上げたいけれど、怪我をさせないように気を付けなければならない。

 

この場合、上位と違って自分のポジショニングを考える必要はありません。

それよりも、チームの状態がベストになるように全体を調整するスキルが必要です。

 

 

 そして、3のベースメント。
こちらがまさに、昨今日本の世間一般企業一般で問われているコミュニケーションという言葉に相当する部分だと考えています。
意思疎通をスムーズに行えること。
意図を察する力、空気を読むといった言葉で表現される力ですね。

 

こちらは、実は能力でも何でもありません。

できるできないは環境要因であって、性格ではありません。

できない場合は環境を作り、意識の改革をし、繰り返しに練習することで誰でもできるようになります。

20歳を過ぎればベースメントはただの社会的マナーです。

礼儀の問題です。

 

プールに入るときは水着を着て帽子をかぶりましょう。

 

そういうことですね。

 

 

このベースメントに問題を抱えている人が意外に多い。

 

それは時代による生活環境の変化が原因ではないかと考えられます。

昔に比べてコミュニケーションの経験値を上げる場面が極端に減っている、コミュニケーションの手段が変化し、ひとつひとつのアクションに情報量が極端に少なくなっているのではないか。

例えば、母親以外の人間とほとんどコミュニケーションを取った経験のない子供たちが社会に出る年齢になってきている。

会って話す、電話をかけるという行為よりも、ラインのスタンプ1個でやり取りをする回数の方が多くなり、情報伝達の方法にわたしたちがまだ追いついていない、ということなどがパッと思いつくところです。

 

 

このベースメントに対処したいのに、戦略的コミュニケーションを勉強しても意味がありません。

 

環境を自ら改善しなければならないのに、全てをベースメントが苦手な人間のせいにしたところで何も始まりません。

 

 

これらは3つは全く違うアプローチなのです。

 

 

そして、ベースメントの問題を解決するのはそんなに難しいことではありません。

気が付き、経験を増やして、体を慣らしてしまえばいいだけなのです。

自分で勝手にハードルを上げないでください。

 

ちょっとした意識の改革で、もう少し楽に生きていける人がたくさん、たくさんいるのではないでしょうか。

 

どうか深く悩まないでください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【ベースメントのコミュニケーション】

前回コミュニケーションを分かりやすく捉えるために、3つの段階分けをしました。

 

上位コミュニケーション

下位コミュニケーション

ベースメント

 

以上の3段階です。

 

 

今回はその中でも一番身近なコミュニケーション、ベースメントについてお話ししたいと思います。

 

 

ベースメントで括られるコミュニケーションについて言えば、実はここにスキルというような技術は何もありません。

平田オリザ先生が再三言われているように、これらはただのマナーとして捉えるべきコミュニケーションです。
社会人としての礼儀であり、もし出来ないのであればそれはただの経験値不足です。

ただ慣れていないだけなのです。

難しく考える必要はありません。

 

 

なのになぜこんなにも大きな問題となっているのか。

 

 

そこがまさに、単なるコミュニケーション不足と想像力の欠如です。

 

年代が違うというだけで、相手の立場を想像することが出来ない。

もしくは、想像する重要性を認識していない。

ただ手間をかけていない、面倒なだけなのです。

 

 

 よく使われる例えですが、一番分かりやすいのが一般企業の上司と部下の関係です。

同じチームで仕事をするとなるとスムーズなコミュニケーションは必須ですが、

上司は部下が何を考えているか分からない。

「あいつは挨拶もろくに出来ない。」

「飲みに誘っても来ない。普通は上司に誘われれば気を使って一度くらいは来るものだろう」

「何か意見があればいつでも発言してくれと言っているのに、向こうから手を挙げたことなど皆無だ。俯いて携帯ばかりいじっている。」

 

本当にそこら中で耳にする不満です。

 

 

さて、ここで質問です。

この場合、問題なのはどちらでしょうか。

 

 

答えは、もちろん両方です。

比率で言えば、より気が付いて行動を起こすべきは上司です。

 

 

しかしこのパターンで問題とされるのはいつも同じですね。

現代の若者のコミュニケーション能力です。

 

 

ほんとうに現代の若者はコミュニケーションが苦手なのでしょうか。

 

そうかもしれません。

でもそれは、他者とコミュニケーションを取らなけれならない場面が、昔に比べて極端に少なくなったからなのです。

理由については、日々マスメディアが取り上げている通りです。

核家族化、少子化、過保護、などなど、子供が優しく守ってくれない他人と触れ合う機会はほとんどなくなりました。

簡単に言うと、表立って大人とやり合うことがなくなったということです。

 

 

昔はその辺の草むらに行けば普通のスライムがうじゃうじゃいたわけです。

大した力がなくても倒せるようなスライムがいっぱいいた。

ちょっと奥に行けばキメラみたいなのもいて、たまに遠出してやられて帰って来たりもした。

毎日遊ぶようにじゃんじゃん倒して、いつの間にかそれなりに経験値が上がっていく。

 

 

上司は自分たちがそんな風にレベル上げをしてきたものだから、それが当たり前だと思っている。

そうするべきだとも思っている。

何故なら昔は良かったから。

出来ないのはきちんと努力してスライムを倒さなかったから。

 

 

でもそれは根本をはき違えている。

 

今は、草原自体がなくなってしまったのです。

倒したくても、スライムが生きている草原はどこにもない。

あっても、危ないからと言って鉄格子が嵌まって鍵がなければ中に入れない。

経験を積みたくても、その範囲を極端に狭められている。

奥深くまで行けるのは、ネットの世界だけです。

 

 

そして忘れてならないのは、その草原を潰してしまったのは誰かということです。

そう。

何を隠そう、上司たち大人世代ですね。

 

 

 

だから、部下たちは経験すれば良いだけなのです。

 

経験値を増やせばいいだけ。

 

20歳を超えたら社交はマナーです。

コミュニケーションはただの礼儀です。

親以外の大人と話す機会のなかった子供は、親以外の大人と話す機会をこれからたくさんつくればいい。

最初はうまく出来なくても、100回200回やれば誰でも慣れます。

 

これは技術でも何でもありません。

特殊なことなど何ひとつありません。

 

 

気が付けばいいだけ。

 

 

まわりの協力と、本人のちょっとした意識改革があれば変わります。

 

それだけで、眼に映る世界は驚くほど変化します。

 

 

さあ、チャレンジを。

 

 

次は上司たちのお話ですね。

 

 

 

 

 

 

【自分の必要としているコミュニケーション能力を具体的に知ること】

昨今では口癖のように言われているコミュニケーションの重要性と、コミュニケーション能力の欠如について考えています。

 

共通したコミュニケーションの手段が減りつつある現代では、 別の視点からその方法を捉え直していかなければなりません。

本来コミュニケーションとは、相手からの情報をできるだけ多く集めることを基本としています。

しかし現在主流となっているツールでは、情報が隠されてしまうことがほとんどです。

実際に会って話をし、相手の行動・言動の癖、イントネーションや言葉のセレクトを知る。

音声だけならばその強弱、文面ならば文字の配置や頻度から相手の意図を想像する。

今はそういった細かな情報群を集めることが出来ないまま、LINEのスタンプ1個でやりとりをしていますね。

皆さん、身に覚えのあることだと思います。

 

 

しかしながら、わたしたちはどうにかしてそこを乗り越えていかなければなりません。

なぜならば、最低限のコミュニケーションがなければ生きていくことさえ難しくなってしまうからです。

 

 

まず一口にコミュニケーションといっても、人によって捉え方が大きく異なります。

コミュニケーションとはかなり広義な意味を持つ言葉だからです。

そしてその認識の差こそ、わたしたちが日々抱えている問題の大きなポイントだと考えています。

 

 

分かりやすくするために、コミュニケーションの段階を分けてみましょう。

 

わたしはコミュニケーションを以下の3つの段階で捉えています。

 

 1.上位コミュニケーション

 2.下位コミュニケーション

 3.ベースメント

 

それではひとつづつ説明します。

 

1の上位コミュニケーションとは、スキルを武器として使うコミュニケーションです。

幅広い知識と経験、高い能力を必要とする強い力で、これを手段として使う場合はかなり限られているといって良いでしょう。

ネゴシエーションや調停をする際に必要とされるスキルです。

 

2の下位コミュニケーション。

これは端的に言うと、環境を自分の力で改善することが出来る能力です。

特に対人コミュニケーションにおいて問題のあるチーム内で、まずどこに問題のポイントがあるのかを真っ先に気付き、自らの指揮で解決に導くことができる力です。チームのリーダーとなる人、上に立つ人にはぜひ持ち合わせて頂きたい力ですね。

 

そして、3のベースメント。

こちらがまさに、昨今日本の世間一般企業一般で問われているコミュニケーションという言葉に相当する部分だと考えています。

意思疎通をスムーズに行えること。

意図を察する力、空気を読むといった言葉で表現される力ですね。

 

 

これらのうち、今自分はどのタイプの力を必要としているのか。

この部分をきちんと考えずして闇雲に努力をし、挫折するパターンが非常に多い。

そこが一番の、問題となっているポイントではないでしょうか。

 

 

本当は下位のコミュニケーションを用いて解決できる問題なのにもかかわらず、戦略としてのコミュニケーションを一生懸命学ぼうとし、多くのコストをかけているけれどそもそも本質がずれているので、思うような成果が上がらない。

 

ベースメントのコミュニケーションについて知らないだけなのに、技術としてのコミュニケーションを無理して学ぼうとし知識は蓄えるけれど、せっかく覚えた小手先だけの方法すら使うタイミングを図れない。

 

 

全くもってナンセンスです。

努力した時間と労力はもう少し有効に使いたい。

 

だって、もっと先に行きたいですよね?

 

 

 

グランドプランを立てましょう。

そこへ持っていきたいという、大きな場所を自分の中に作ること。

 

 

目標に向かって歩みましょう。

 

 

人生は一度きり。

遅いも早いもありません。

気が付いた段階で始めれば良いのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【コミュニケーションて何だろう】

皆さんは、コミュニケーションについてどれくらい興味がありますか?

全くないということはありませんよね。

この世界をたったひとりで生きていくことは誰にも出来ません。

わたしたちは、日々何らかのかたちで誰かとコミュニケーションを取りながら生きています。

 

 話題としてもかなり一般的なので、いつもどこかで誰かが意見しているのを耳にします。

 

「最近の若者にはコミュニケーション能力がない」

「実は友達がコミュ障でさ」

「昨今のグローバル社会はコミュニケーション力の高い人間を必要としていると思う」

「成功するにはコミュ力が鍵になる」

 

このような話を、誰でも一度は聞いたことがあるでしょう。

 

 

テレビやネットで多くの人がそれぞれの立場でコミュニケーションを語り、

聞いているうちに何だか分かったような分からないような気持ちになる。

考えたようで、でもすぐに忘れる。

同じ言葉がテレビコマーシャルのように何度も繰り返され、

気が付かないうちにみんなの意見が自分の意見であったかのように思えてしまう。

 

「やっぱりコミュニケーション能力は大事だよね」

 

 

そうだろうと思います。

そうですよね?

 

でも皆さんは、一度立ち止まって考えたことがあるでしょうか。

 

 

コミュニケーションの能力とは具体的に何を指しているのだろう。

その能力は有る無しで測れるものなのだろうか。

コミュニケーション能力が高いとは、どのような状態のことを言うのだろう。

 

 

じゃあ、自分は何をコミュニケーションとして捉えているんだろう。

 

 

うーーん。

 

そしてこれは個人的な質問ですが、わたしはなぜコミュニケーションについてこんなに興味があるのだろうか。

 

その理由には心当たりがありました。

 

 

わたしは周りから、コミュニケーション能力が高いと評価され続けてきました。

でも自分ではずっと疑問に思っていました。

環境適応能力、空気感やパワーバランスを読む力はそれなりにあると思っていますが、

果たしてそれだけでコミュニケーション能力が高いといえるのでしょうか。

自己評価ではネゴシエーション力など全くと言っていいほどないし、自分の負の感情に弱く、コントロールして相手を動かすことも出来ない。

そんな私のコミュニケーション能力が高いと言えるはずがない。

ずっとそう考えてきました。

 

 

コミュニケーションとはいったい何なのか。

考えて続け調べ続けた結果、1つの明確な事実に突き当たりました。

 

 

同じ言葉でも、認識している意味が微妙に違うということです。

コミュニケーションとは、かなり広義な意味で捉えられている言葉なのです。

 

 

あの壁を赤い色に塗り替えようという相談をしているとします。

それは良い考えだと話を進める中で、お互いの思い浮かべている赤色が全く同じである可能性はとても低い。

具体的なカラーサンプルを前に話しているならともかく、想像のうちだけで会話を進めている場合、例えばわたしがピンク色に近い明るい赤を考えて話しているのに対し、相手がどす黒いべったりした赤を思い浮かべていることがあります。

そして気が付かないまま、話はどんどん進んでしまうのです。

 

 

 そこに気が付いてようやく腑に落ちました。

わたしのコミュニケーション能力を評価してくれる人たちと、わたしの考えるコミュニケーションというものが、そもそも違う意味を持っていたのです。

 

 

 

では、わたしの考えるコミュニケーションとは何なのか。

これを突き詰めて考えてみようと思いました。

そうしてたくさんの意見を集めていくうちに、共感できる素晴らしい考え方を持つ多くの先生を知ることが出来ました。

 

 

コミュニケーションは大事です。

 

そこに依存はありません。

皆さんも同じように感じているはずです。

 

 

ただ、どのように大事なのか。

問題となっているのはどの部分なのか。

分かりやすく腑に落ちて、血肉になるような言葉で知りたい。

 

 

そして共有したい。

 

 

 

ひとりでも多くの人が簡単なコミュニケーションに悩まず自由に生きて欲しい。

そうすればもっと楽しい人生を送れるはず。

 

 

わたしはそんな思いで日々コミュニケーションを勉強しています。

みんなで一緒に考えて生きたい課題だと考えています。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

善き物語は本当に人生を救う

人間にとって物語の持つ力は圧倒的です。

 

特定宗教への信仰然り、自己啓発本だってその中に必ず誰かの物語がある。

小説を読む時間なんて無駄だと言う人もいるけれど、

そう言う人に限って巧妙に隠された誰かの物語に心酔していたりする場合がほとんどですね。

 

 ここで問題になるのは、それが善き物語なのか悪しき物語なのかということです。

なぜならば、善き物語のみが人生を救うことができるから。

 

 では、それが善きものであるか悪しきものであるかどうやって判断するのか。

 それが簡単なようでいて、とても難しい。

 

だからこそ、世の中は常に混乱している。

視点がひとつでは無いから。

「君の物語」と「僕の物語」基本的には違うものだから。

 

 

わたしは、人間にとっての完全な善や悪は存在しないと思っている。

 

 

だからこそ、できる限りたくさんの物語と出会うこと。

内包されている善悪が何を指し示そうとしているのか自分の頭で一生懸命考えること。

そして君が生きている現実と照らし合わせること。

 

 

君にとって善とはいったい何のかを考えること。

 

 

 

そして善き物語をたくさんたくさん、集めていけばいいと思うのです。

 

 

 

 

 

 

 

人生は短いし、生涯に読める本は限られている

歳を重ねるごとに、「人生ってやっぱり短いのかも」と感じます。

 

 

無駄なこと

 

については皆さんそれぞれ意見をお持ちだと思います。

が、時間=命を毎日削って生きているわけなので

わたしなんかはできれば有益に使いたいな、と考えてしまいます。

 

 

で、読める本の数も限られている。

 

自分の思想を根底から覆す、

深い感動に動けなくなるほどの、

あまりに美しくて悲しくなるような、

未来を輝かすような、

胸を熱くするような、

何度もなんども読み返してしまうような、

 

そんな素敵な物語との出会いが、ひとつでも多い方がいい。

たくさん出会って心を揺さぶられたい。

 

 

と、心から思うのです。

 

 

そのためにはまず、自分を知ること。

自分の好みを知り、好きなことに自信を持つこと。

 

そして、本に対して疑問を持つこと。

新しい興味を持つこと。

素直になること。

怖がらずに好きだということ。嫌いだと言うこと。

 

 

そうやって少しずつ物語に心を開いていけば、そこには必ず黄金の果実があります。

 

食べたらやみつき間違いなしの果実です。

 

 

 

 

 

 

 

 

みんなが面白いと思う本を君は本当に面白いと思うか

読書とは、何とも不思議な経験ですね。

とても個人的な行為なのに、共感が間を取り持っている。

 

 

そして本の好みがかなり偏っているわたしは、絶対になんちゃら大賞などを参考にしません。

学びました。

みんなが大好きだからといって自分が好きとは限らないのです。

分母が大きければ大きいほど参考にならない。

しかしながら、村上春樹だけは謎の現象だと思っています。

わたしは何を隠そう昔からのハルキストですが、あれって買った人みんなちゃんと読んでるのかな。

いわゆる普通のエンタメとしては読めないですよね?

どうなんでしょうか。

 

 

まあ、何が言いたいかといいますと、自分の好みに正直になった方が読書は面白いということです。

 

つまらないと思ったときは胸を張ってつまらないと言えばいい。

(もちろん自分の知識不足が原因でつまらないと感じることも多いですが)

 

そして、好きな本はとことん読めばいい。

 

 

できれば全員読んだ方がいいんじゃないかと思えるような特殊な物語は、実はこの世の中にまだそれほど多くはありません。

若いうちに読んでおいた方がいい本はそれなりにあると思いますが、

読み進めるのがあまりに苦痛ならそれは時期じゃないか合わないかのどちらかです。

無理して読む必要はありません。

他にあなたが必要としてる本なんて探せばいくらでもあります。

読むべき本という他人からの圧力に惑わされず、自分の人生観を変えてくれる素敵な物語をぜひ探してください。